プロセスバンク by 得田裕介

経営コンサルタント problem solving and decision making

「人生を多様な見方で捉えるのに長けている人」になるためには?

明確な答えがあるわけではありませんが、一つの示唆となるのではとハッとさせられた記事がありました。

それは、『録音された自分の声を聞くと「恥ずかしい」と感じてしまう』というものです。

nymag.com

録音された自分の声を聞くと「恥ずかしい」と感じてしまう理由 | ライフハッカー[日本版]

 

私自身、プレゼンをすることが本職なのですが、その状況を逐一録音して「そのリアルな姿」を振り返ることは非常に恥ずかしいものです。

そもそも、そのように恥ずかしく感じる理由は科学的にあります。

まず、録音した自分の声が別人のゆに聞こえるのは私たちの頭蓋骨の生理機能のためです。自分の声を聞くときは、骨伝導という「特別の」スピーカーを通しているようなものなのです。詳しく説明しましょう。

声帯が振動して言葉を発する際に頭蓋骨も一緒に振動することで、内耳の渦巻管にも伝わるために骨伝導と呼ばれています。骨伝導は空気伝導に比べて低い周波数で伝わります。これが、自分の声を再生した時に聞き慣れないと思う理由の1つです。自分の頭を通して音を聞くとき、頭蓋骨を通すことで脳は実際よりも低い音で認識しているのです。

なので、残念ながら録音された自分の声が、実際に他人に聞こえている声なのです。

 確かに、考えてみればその通り。理屈は当たり前なことでもあります。そしてまた、聞きなれない声が、自分のものとして突きつけられれば、誰だってそのギャップに「ショック」を受けるはずです。

しかし、だからといって、自己認識とギャップのある「その声」が、他者にとって「よくない」ものかといえば、そうとも言えないと思います。なので、私自身は、突き詰めて「声そのもの」を見つめる必要もないのかなと考えています。

いつもの自分の声が(自分に)聞こえている状態で、その声が実際にはどういう声であろうが、他者がどういう「反応」をしているかを見さえすれば、十分にレビューができるのかなと。

 

そこで最後に、標題に関する重要なことになりますが、「その声」に「どう向き合って」いけるかということです。

The Science of usによると、以下のように説明があります。

自分自身の声を聞いても恥ずかしいとも何とも思わず、全く気にしない人は、相当自尊心が高い人か、人生を多様な見方で捉えるのに長けている人か、もしくは、ただ単に自分の声に慣れている人なのかもしれません。 

 目を伏せてもいけませんし、かといって傲慢になっても新たな境地には進めません。リアルな自分に、真摯に上手く向き合わないといけません。ネガティブに心に引きずらず、しかし、しっかりと参考にする。

そのために必要なのは、やはり「多様な見方」なのでしょう。物事は、あらゆる観点があり、トレードオフの関係にあります。重要なのは、その「バランス」です。個性だってあって、人それぞれのバランスがあります。そのバランスを、その人なりに微修正すればよいことだと思います。

では、多様な見方がなければ、自分と向き合わない方がいいのかというと、それは本末転倒です。逆に、多様な見方を「培うため」に、時には心落ち着かせて、自分と向き合う時間を作ってもいいかもしれませんね。