プロセスバンク by 得田裕介

経営コンサルタント problem solving and decision making

新企画で人をよき方向に導くには「伏線」が必要?!

2012年の作品になりますが、ロバート・ゼメキス監督の「フライト」です。

ロバート・ゼメキス監督とは、あの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「フォレストガンプ」を監督した方です。

そうそうたる作品の中でも、秀逸の作品だと聞いて、先日鑑賞しました。

 

内容だけでなく、その撮影テクニックなども(ずぶの素人ながらも)意識してみましたが、確かに「すごい」。私が言うのも軽々しくて僭越なのですが。

 

というところで、今日は、本作品のあるワンシーンを切り取って、考察していきたいと思います。

 

内容を簡単に言うと…

デンゼルワシントン扮する機長ウィップ・ウィトカーは、(事故の後)パイロットの10人中全員がシミュレーションで失敗したほどの墜落事故において、奇跡の操縦によってほとんどの乗客乗員の生還を成功させる。

しかし、事故後の調査により、ウィトカーにアルコール摂取の容疑がかけられる。英雄から一転、過失致死罪(終身刑)に問われることとなるが…

というものである。

 

「内容」も素晴らしいのだが、そこに触れると、壮大で、且つ、深すぎる哲学的、さらには宗教学的な世界にも入り込んでしまうので、今日はあえて、その「映像テクニック」にふれてみたいと思う。

 

《切り抜いたワンシーン》

--- 事故の後、ウィトカーは収容された病院でうなされつつ目を覚まし、沈痛な思いでタバコを吸いに非常階段に向かう。(当然、自身の症状にも、病院の規律にも反するのだが。)そこで、同じようにタバコを吸いにきた2人と出会う。一人は若い女性。ウィトカーが入ってきた扉がある階(踊り場)から10数段上に既に座り、タバコを吸っていた。彼女は、薬物依存症で倒れ、この病院に搬送されてきていた。お互いに何者かと警戒する中、その間に割って入るように、階下から一人の男性が昇ってくる。彼は複数の点滴を携え、死が間近に迫った癌患者であることを告白する。だがそれも「タバコを吸ったら、俺の癌が癌になっちまう」などとおどけるほど陽気に。それぞれ背負ったものは違えど、「ワルの考えることは同じだな」と意気投合する一面もある。そういった数分の出会いと会話の後、癌患者の男性は階下に降り、薬物依存症の女性は階上に昇っていく。そして、ウィトカーは踊り場に。 ---

 

実は、この構図は、この後のストーリー展開を、3人の向かう方向を示唆する最も重要な「伏線」になっています。(このことは、私の好きでよく聞くラジオ「スカパー! 日曜シネマテーク-TOKYO FM-」で聞いた話です。)

 

螺旋状の階段で、3人を一つの画面に「縮図」のように収める。

そして、話題には宗教観を入れて、「比喩」のようにも主張したい「キーメッセージ」を短時間で表現する。

今後のストーリー展開の予見です。

 

まずは、「抽象的」にも、「比喩」などを交えながら「全体像」を示すというテクニックです。

このおぼろげな全体像が、圧倒的に視聴者の「興味」をそそり、その後の内容の「理解度」を向上させます。

 

確かに私自身も、この伏線を皮切りに、その後のストーリー展開について、「一体(具体的には)どうなっていくのだろう??」という、興味に満ち溢れた「疑問」をもって追い続けていくことができました。

まさに、飽きない。

ぼんやりとした影が、はっきりとした姿になっていくまで目をそらせない。

 

ネタばれにならないように配慮しながら、この後の内容を軽く言っておくと、

この女性はその後、苦しみながらも、人生がよき方向に上り始めます。しかし、ウィトカーは、やはり、踊り場から上にいくか下にいくか宙ぶらりん、いや、というよりも行ったり来たりの連続。真の自分を受け止めきれないまま嘘をつきながら迷走していきます。その嘘にも、苦悶していきます。

 

話は私の経営コンサルティングの世界に戻しますが、

この「伏線」、この映画同様に、非常に重要な要素だと考えています。

 

特に私の場合は、「営業戦略」を策定するにしても、

必ず、「育成」、つまり、協同した策定後には、クライアントが「独力で策定できる能力」を修得していけるようにプロジェクトを設計します。

 

その育成の観点で考えると、いきなり“冒頭から全てを詳細”に伝えてしまうということはしません。

いきなり全てを伝えられても、相手の頭の中に「理解」は進みません。

仮に理解できたとしても、単なる「真似」になってしまい、「能力の修得」には辿り着けません。

 

やはり人間弱いもので、簡単に与えられ、労せずして簡単に出来てしまったものは、簡単に「消えて」いきます。

「継続的」で、「再現性」のある力にはならないということです。

最悪の場合、出来るという「プライド」だけが残ってしまいます。

 

全体像をおぼろげにしりつつも、「実践」の「難しさ」を適度に味わいながら、

その「解決」のためには一体何が必要なものかと「探し」ながら、

ようやくそこに解決の「方策」が与えられる。

そんな流れが、一番身につきます。

 

とはいえ、全く何も知らないままに実践を始めると、興味もわかず、とりつく島もなく「漫然」と時間だけが進みます。

それもよくない。

 

さきほど、私は本作を見るに当たり、この展開は一体どうなるのだろうという「疑問」を持ち続けたとお伝えしました。

このことは、「情報収集」のテクニックにも当てはまります。

漫然を探しても何も見つかりません。

疑問を起点として、「仮説」をもって、「それをサーチ」することが重要なのです。

 

私の場合は、内容、展開、映像テクニックなど、いくつかのポイントを意識しながら本作をみたことによって、その良さを倍増させることが出来たのです。

 

やはり、冒頭には、

最後に出来あがる全体像。

さらには、その作業を通して最後に分かる、本当に伝えたいメッセージ。

そういったものをコンパクトにほのめかす適度な「伏線」が成功の鍵となります。

 

しかしながら、相手によって、その理解力や実践力は違いますから、どうしてもほのめかすだけでは理想の完成度に到達出来ない時もあります。

そんな時には、私流ではありますが、相手の立場に成り代わって、私の方で「作り上げ」ます。根性で。

 

相手が、苦しみぬいた暁(疑問が蓄積している状態)においては、最後にしっかりと「理想像(答え)」を示すこと。

それも非常に高価のあることだと考えるからです。

 

 

皆様の中には、

戦略なり、何かを教える側の方、

何かを学ぶ側(実践)の方、

双方いらっしゃることと思います。

 

お互いが、目的と方法について、上記のことを相互に理解しあいながら進めれば、きっと「楽しく」「協同」できるはずです。

それが、結果として「実り」となります。

 

映画の世界も、経営コンサルの世界も、おおいにシンクロするところがあると思います。

これからも、沢山、参考にしていきたいと考えています。

 

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