青学駅伝「青トレ」:戦略は誰が考えるべき?!(その1)
今日はこちらの記事を起点として、考察してみます。
青学大の自ら考えて鍛える「青トレ」が完全V導いた
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160104-00000003-nksports-spo
「自分でメニューを出せば5秒で終わるが、選手に考えさせた方がやる気も出る」。今では選手たちの会話に「長腓骨(ひこつ)筋、ヒラメ筋(ともにふくらはぎの外側の筋肉)」と、専門的な筋肉の名称が飛び交う。体を漫然と動かさず、鍛える箇所、その意味を理解し、トレーニングは楽しくなり、その効果も増した。
私にとって、ゾクゾクトとしてくるポイントがいくつも散りばめられています。
まずは、「選手に考えさせた方がやる気も出る」という点。
そのメカニズムを私なりに解釈してみると…
自分で考えたということは、自分の頭の中に、誰よりも「オリジナリティ」があり、
且つ、それが「鮮明」にイメージが描けたということ。
そして、そのイメージは、きっとこうすれば「もっとよくなる」はずという「道筋」になったということ。
さらに、その道筋を辿れば、どんな「結果(成功)」がもたらされるのだろうという「ワクワク感」が沸いたということ。
だったら、とにかく「やってみたい!」と思う状態になったということ。
だと思います。
ここで重要なのは、「実行するのは誰か」だと思います。
このことの重要性は、経営コンサルの場でも、いつも痛感させられます。
私は、「施策」(特に「営業戦略」が多いのですが、)を立案する際には、
その作成者、つまり、語り手の「主語」は、クライアント企業における「プロジェクトリーダー(実行者)」となる方
と必ず、そうしています。
企画する発端となる「想い」をもった方こそが、主語とならないといけません。
それは、ポリシーに近いものがあります。
仮に私のようなコンサルタントが、
たとえどんなに、高度な分析を行って、奇抜なアイデアをもって、きれいな見栄えに整えたとしても、
それを納品した瞬間に、「魂」を失います。
実行者であるクライアント企業の中で、人の手を介するごとに、意味の理解が変わり、思い入れは薄れていきます。
想いの発端となった「リーダー」がいるかいないかは、その後の実行フェーズにおいては、雲泥の差になってきます。
しかし、戦略立案の「素人」が作成者となるわけですから、アイデアが乏しかったり、分析が粗雑だったりすることは当然あります。
なので、その乏しさや粗雑さこそを、私のようなコンサルタント(玄人)が「手直し」する作業を行います。
常に「協同作業」となりますが、あくまでも「起点は実行者本人」です。
戦略は、「実行へのブリッジング」であり、
実行した際の「成功の可能性」を高めるもの(方策の工夫)です。
その戦略は、「実行ありき」で考えぬかれているか。
それが最も重要なことだと考えています。
~今回は「その1」としました。また別途「専門的な筋肉の名称が飛び交う。体を漫然と動かさず、鍛える箇所、その意味を理解し」の部分についても、紐解いていきたいと思います。~